えっさホイとお猿のかごやと小田原のまとまらない話。

2015.10.15(Thu)

いよいよ今週末は第17回ODAWARAえっさホイおどり。
『ODAWARAえっさホイおどり』は、各地で開催されているよさこい系祭り同様、※小田原ゆかりの「おさるのかごや」のフレーズを曲中に入れる、「えっさほいさっさ」の掛け声を入れる、鳴子を小田原風にアレンジした『猿子』と呼ばれる鳴物を使用して踊るという決まりはありますが、それ以外は他のよさこい系祭り同様に、曲や振付,衣装などは自由な踊りです。

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この時期になると、お猿のかごやが脳内でループしていて、それに加えて今年は篠笛が鳴り響いて止まりません。

この「お猿のかごや」は1938年9月に山上武夫さんの手により、東京大森で生まれた童謡です。
信州の山猿である山上さんと海沼先生。擬人化して猿にしてしまおう。
たまたま家にあった、「小田原提灯」を何の迷いも無く担ぎ棒にぶらさげて…
そんなエピソードが小田原提灯の本に書かれていました。
片浦地区には多くの野生猿が見られますが、どうやらそのお猿ではない事が分かります。
また、籠屋が小田原提灯を担ぎ棒にぶら下げていたのは、創作ではなく、事実のようです。

今ではこの童謡がJR小田原駅の発着メロディー(こちらの編曲は地元バンドの藍坊主さん)にもなり、広く知られるようになっています。
他の駅に比べると地味なメロディという意見もあるけれど、
北原白秋に縁の深く、小田原文学館もある「童謡のまち」として知られている小田原なので、そういう意味で、私はステキな選曲だと思っています。

「お猿のかごや」は前述のとおり、信州人の山上さんが書いた作品ですが、NHKの「お国自慢西東」でも小田原の歌として取り上げられているように、既に作者の手を離れ、信州からも遠ざかって小田原の歌になりつつあるように思われるとも、昭和52年に語っています。

「小田原提灯ぶら下げて」というフレーズが小田原の歌になった要因なんでしょうね。
明治・大正・昭和の時代には全国にあったそうだから、なぜ信州人が小田原提灯という言葉を使ったのか、という疑問も解決できます。

小田原提灯については、「文献と言えるものが全くと言っていいほど残っていない」といいますが、
江戸の時代に甚左衛門によってつくられたのが起源だという事。
1700年代(天文年間?)に初めて作られたという事はほぼほぼ共通で書かれており、
1800年代には文学の世界で「小田原」が「小田原提灯」の隠語、代名詞にまでなっています。

風魔忍者と同じく、謎が多いのは、それはそれで面白くて好きです。

ところで、小田原提灯の事を古くはふところ提灯と言ったそうです。
畳んで懐にしまえるから、ふところ提灯。分かりやすい。
他にも地域によって、ぶらり提灯とか箱提灯とか、手提灯とかとも。

えっさホイおどりで提灯を使う場合、大体使ってるのは小田原提灯ではなくて、御用提灯と呼ばれるものだと思います。
弓張提灯なんて呼ばれ方もしますね(私はこっちで呼んでます。)
点火したまま床置きが可能で、また激しい動きにも対応できる提灯として使われています。
小さいものは名古屋が発祥だそうです。でも小さいってどれくらいのものかはちょっとわかりません。

話がそれまくってしまいましたが、
そんなお猿のかごやと提灯の話でした。
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プロフィール

odawalife

Author:odawalife
小田原の食の伝道師お茶です。自他共に認める小田原好き。

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小田原スイーツ大使(小田原プロモーションフォーラム公認)
まち歩き観光ガイド@清閑亭
小田原スイーツ会会長

小田原海外市民交流会 YOIFA会長
地球市民フェスタ実行委員 主に広報担当
国際交流グループGo ouTの主催メンバー

小田原まちなか市場実行委員
最年少の足柄茶コンシェルジュ

早すぎた英雄梅丸の護衛担当忍者として活動していたり、えっさホイおどりで聯に所属し、踊っていたりします。

それから割とガチな帽子好き。
部屋には70個以上の帽子が住み着いています。

色々な方と関わるのが好きです。
よろしくお願いしますー!

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